このたび標記の本が、出版界に新風を吹き込んでいる「草思社」から上梓することができました。
”2000年”を期し、一年間をかけて書き下ろしたものです。
私は昭和24年4月にマッカーサーの「農民解放指令」によって新しく生まれた、「農業改良普及員」という職に就きました。身分は都道府県の職員ですが、他の公務員と違って民主主義の申し子です。
毎日、”緑の自転車”に乗って農家を巡回し、技術や経営の指導をするのが仕事でした。 このとき6000人の普及員が全国の農村に配置されましたが、私には「全国で一番若い普及員」という折り紙がつけられました。成人式前の19歳と2ヶ月。「紅顔可憐な少年普及員」だったと、いまでも自負しています。
この物語は、その少年普及員の奮闘記で幕をあけます。舞台は現在の町田市と八王子市の農村です。
春には菜の花やレンゲの花が咲き乱れ、小川ではメダカやハヤがすいすい泳いでいる農村でした。
ところが高度経済成長期に入ると、農村も農業も一変します。「農業の近代化」の掛け声のもとで、化学肥料・農薬漬けにされた農村からは、菜の花もメダカも消えます。とくに町田市や八王子市の農村には”都市化の波”も押し寄せ、あれよあれよと言う間に、農村風景も農家も消えてしまいました。
--もはや、これまで・・・・・・。
私が普及員を辞めたのは昭和47年5月。紅顔可憐な普及員も42歳になっていました。 ・・・・・・数字で示しますと、私が普及員になった時の日本の農家戸数は「617万6000戸」。平成10年のそれは「252万2000戸」。なんと「365万4000戸」の農家が消えています。星新一のSFの世界ではありません。これが日本農業の現実です。そして私が普及員として生きた23年間は、まさに日本農業崩壊の時代とオーバーラップしています。
--日本農業は、なぜ、消えたのか?
口幅ったい言い方で恐縮ですが、私は自分を、360余万戸の農家が消えていく現場にいた、「生き証人」だと思っています。いま書き残しておかないと消えた農家が浮かばれない・・・・・・そんな思いを込めて書いた『東京から農業が消えた日』です。 構成としては、理屈は抜きにしました。地域の歴史なども書きこんだ読物風の記録ですので、小説を味わうような気軽な気分で、読んで頂ければ幸いです。特に消費者には他人事ではなく、自分たちの問題として、読みとって頂ければと願っています。
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